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東京地方裁判所 昭和37年(ワ)462号 判決

判   決

原告

浜屋覚三

右訴訟代理人弁護士

三好喜敬

被告

斉藤広基

右訴訟代理人弁護士

野口良光

右当事者間の昭和三七年(ワ)第四六二号病院名使用差止等請求事件につき、当裁判所は、次のとおり判決する。

主文

一  被告は、東京都中央区八丁堀三丁目八番地の三十五に開設する病院につき、京橋中央病院という名称を使用してはならない。

二  原告のその余の請求は、棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

原告訴訟代理人は、「一、被告は、東京都中央区八丁堀三丁目八番地の三十五に開設する病院につき、京橋中央病院という名称を使用してはならない。二、被告は、原告に対し、金三十七万円、およびこれに対する昭和三十七年二月二日から支払ずみに至るまで五分の割合による金員を支払え、三、訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求め、被告訴訟代理人は、「一、原告の請求は、棄却する。二、訴訟費用は、原告の負担する。」との判決を求めた。

第二  当事者の主張

(請求の原因)

原告訴訟代理人は、請求の原因として、次のとおり述べた。

一  原告は、東京都中央区越前堀二丁目一番地に「京橋病院」という病院を開設している。

二  右病院は、明治の末開設、当初、霊岸島病院と称していたが、昭和九年頃、その名称を「京橋病院」と改めて現在に至つている。しかして、右病院は、鉄筋コンクリート三階建延坪三百六十四坪六合二勺の本館および木造モルタル瓦葺二階建延坪三十三坪六合八勺の新館に、医師十二名、看護婦十五名、その他従業員四十七名を擁し、内科、外科、皮膚科、耳鼻いんこう科、ひ尿器科、神経科、産婦人科、および、エツクス線科の各診療科を有し、そのうち外科およびひ尿器科に特色が認められ、なお救急指定病院である。

しかも、右病院は、昭和三十五年四月頃と同年七月頃の二回にわたり、救急指定病院のモデルケースとしてテレビ放送されたことがあり、また有名人が入院した場合には、しばしば、新聞紙上にその病院名が掲載されたことがあり、「京橋病院」という名称は、東京都中央区内はもとより、その隣接地区にも広く認識されている病院名である。

三、被告は、昭和三十六年十月二十日頃、東京都中央区八丁堀三丁目八番地の三十五に「京都中央病院」という名称の病院を開設した。この病院は、医師三名を擁し、内科および外科の診療科を有する小規模のものであるが、その病院名は、原告の病院名と類似の名称であり、かつ、原告の病院と同一系列にあるか、または、原告の病院を凌ぐ大病院のような感を抱かせる名称である。しかも、被告の病院は、原告の病院から徒歩約五、六分の近距離にあり、被告が現在地において「京橋中央病院」という名称を使用していることは、原告が「京橋病院」という名称を使用してする病院経営上の施設または活動と混同を生ぜしめるものであり、これがため、原告は、病院経営上の利益を害せられるおそれがある。

四  被告は、前記のように、「京橋中央病院」という原告の病院名と類似の名称を使用することにより、原告の病院経営と混同を生じ、その利益が害せられるおそれがあることを知り、または、知りえたにかかわらず、過失によりこれを知らないで、右病院名を使用したものであり、これがため、原告の病院は、昭和三十六年十一月一日以降一日平均外来患者は三十名から四十名を、入院患者は五名をそれぞれ減じ、右収入減は、前者において一日金九千円、後者において一日金六千円、合計金一万五千円であり、そのうち利益に相当するものは、その三割の金四千五百円であるが、被告の病院を原告の病院と同一または同一系統の病院と誤認して診療を受ける患者は、少くともその一割を下らないから、原告は、一カ月金二万七千円の得べかりし利益を喪失し、同額の損害を受けている。

原告は、東京慈恵会医科大学卒業の医学博士で、医師として相当の社会的地位にあり、現在は、日本医師会代議員、東京医業従業員組合検査役、東京都医師信用組合幹事、日本泌尿器学会評議員、東京慈恵会医科大学評議員、東京救急指定病院協会理事、および、中央区医師会理事の職にある。しかるに、被告は、前記病院名を使用することにより、原告の病院経営上における信用を傷つけることを知り、または知りえたにかかわらず、過失によりこれを知らないで、右病院名を使用したものであり、これがため、原告は、精神的苦痛を蒙つており、右苦痛は、時の経過とともに増大し、独り、原告のみならず、その経営する病院の医師その他の従業員にも波及し、原告は、病院長として、これら従業員の精神的苦痛をも負担しなければならない立場にあり、かつ、本件訴を提起するについては、訴訟代理人に対する報酬および鑑定料等その費用として金十万円を要し、支出することを余儀なくされるなど、被告の前記名称の使用により原告は多大の精神的損害を蒙つたが、その慰藉料は前記のような諸般の事情から金三十万円を相当とする。

五  よつて、原告は被告に対し、被告開設の病院につさ「京橋中央病院」という名称を使用することの差止めを求めるとともに、昭和三十六年十一月一日から昭和三十七年一月二十五日までの得べかりし利益の喪失による損害金のうち金七万円、ならびに、精神的苦痛に対する慰藉料として金三十万円および右各金員に対する不法行為の後である昭和三十七年二月二日から支払いずみに至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(答弁)

被告訴訟代理人は、答弁として、次のとおり述べた。

一  原告主張の請求原因第一項の事実中「京橋病院」が原告主張の場所に存在することは認めるが、その余の事実は知らない。

二  同第二項の事実中「京橋病院」が救急指定病院であることは認めるが、その余の事実は知らない。

三  同第三項の事実中、被告が原告の主張の場所に「京橋中央病院」を開設したこと、右病院は、医師三名を擁し、内科および外科の診療科を有することは認めるが、その余の事実は否認する。

四  同第四項の事実中、原告が東京慈恵会医科大学卒業の医学博士であり、日本医師会代議員および中央区医師会理事であることは認めるが、原告がその他の役職に就いていることは知らない。その余の事実は否認する。

五  不正競争防止法は、営利事業を遂行する商人間の不正競争を規整することを目的とするものであるが、原、被告はいずれも、営利事業を目的とする商人ではないから、同法の規定は、本件には適用せられるべきではなく、したがつて、また、原告使用の病院名は、同法第一条第二号にいわゆる氏名、商号、標章その他営業を示す表示のいずれにも該当しないから、原告の請求は、理由がない。

第三  証拠関係≪省略≫

理由

第一  病院名の使用差止請求について

(不正競争防止法の適用について)

一 被告は、原、被告は、いずれも、営利事業を目的とする商人ではないから、不正競争防止法の規定は、本件につき適用されるべきではない旨主張する。しかして、病院を経営する医師が営利事業を目的とする商人でないことは、社会通念上、いうまでもないところであるが、同法の規整の対象を、被告主張のように、商人に限るものと解すべき理由はなく、同法にいわゆる営業とは、単に営利を目的とする場合のみならず、広く経済上その収支計算の上に立つて行わるべき事業をも含むと解するを相当とするところ、一般に、病院経営が経済上その収支計算の上に立つて行わるべき事業体であることは、われわれの社会通念上、明らかなところであるから、これを右にいわゆる営業というも何ら妨げなく、したがつて、このような事業体に附せられる名称についても、不正競争防止法の規定の適用があるものと解すべきであり、これと見解を異にする被告の右主張には、賛同することができない。

(原告の病院名の認識の程度について)

二 「京橋病院」が東京都中央区越前堀二丁目一番地に存在すること、および右病院が救急指定病院であることは、当事者間に争いがなく、原告本人尋問の結果によると、「京橋病院」は明治の末、霊岸島病院という名称で開設された病院であるが、昭和十年頃、これを「京橋病院」という名称に変更するとともに、原告が右京橋病院の開設者となり、爾来これを経営してきたこと、その経営規模は、地上三階地下一階延坪約三百六十四坪の鉄筋コンクリート建の建物と延坪約三十三坪の木造モルタル瓦ぶき二階建の建物があり、そのなかに約五十八人の患者収容施設を有し、診療科目として、内科、小児科、外科、皮膚ひ尿器科、耳鼻いんこう科、産婦人科および、エツクス線科等があり、医師約十五名、看護婦約十三名その他の従業員約二十九名が右病院経営に従事しており、患者は、外来が東京都中央区を中心として一日二百五、六十人、入院患者が東京都内各所から平均約四十人あり、その他救急車で患者が運ばれることも多いときには一日数回にのぼり、原告の病院が、経営規模の点から東京都内においては上位のクラスにある病院であること、その病院の周知方法としては、朝日新聞、毎日新聞および読売新聞の各都内版を通じて、年に数回の広告を掲載するほか、附近の電柱にその名称を掲示していること、ならびに、原告の病院が救急指定病院として日本放送協会のテレビ放送を通じて紹介されたことのあることが認められ、これらの事実によれば、原告の病院名が東京都中央区を中心として、一般に広く認識されていることを認定しうべく、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

(原告の病院名と被告のそれが類似であるかどうかについて)

三 被告が東京都中央区八丁堀三丁目八番地の三十五に「京橋中央病院」という名称の病院を開設していることは、当事者間に争いがなく、原、被告双方の病院の所在地が、いずれも、最近に至るまで、行政区画上、東京都京橋区と称されていたことは顕著な事実であり、特段の事情の認むべきもののない本件においては、両病院の各称は、その地区名にちなんで付けられたものであると推測しうべく、「京橋病院」という名称の要部が京橋という語にあることは明らかであり、一方、「京橋中央病院」という名称は、一個の固有名詞ではあるが、そのうちの「中央」という語は、時に、地域的意味に用いられることもあれば、あるいは、縦の系列的意味に用いられることもある等、場合により、種々の意味内容を含ませることのできる抽象的名辞であるから、右病院名の要部も具体的名辞である「京橋」という点にあるものと認めるのが相当であり、その意味において、両病院の名称は類似するものというべきである。

(被告の病院が原告の病院と混同を生ぜしめるかどうかについて)

四 被告の病院が医師三名を擁し、内科および外科の診療科目を有していることは、当事者間に争いがなく、被告本人尋問の結果によれば、被告の病院は、昭和三十六年十一月に開設されたこと、診療科目は、前記内科および外科の他、小児科、皮膚科、および、エツクス線科があり、四階建延坪約百六十坪の建物に約二十二人の患者収容施設を有すること、従業員は前記医師三名のほか、看護婦六名、その他の従業員二十数名を擁し、外来患者が一日平均約百三十人、入院患者が平均二十人前後であること、ならびに、右病院は、原告病院とは川を隔てて徒歩約十分以内の距離にあることが認められる。

しかして、原告本人尋問の結果によれば、被告の病院に入院中の患者について、原告の病院に問い合せがあつたこと、被告の病院がした看護婦の募集につき、応募者が間違つて原告の病院を訪ねてきたこと、および、原告の病院に入院すべき筈の患者が被告の病院に間違つて担ぎ込まれたことが認められ、以上認定の事実を合せ考えれば、被告経営の病院は、原告経営の病院に比し、その経営規模が小さいとはいえ、二、三の診療科目を除くの他、その診療内容がほぼ同一であり、かつ、原告経営の病院と至近距離にあり、しかも名称が類似しているため、時に原告の病院経営上における施設および活動と混同誤認を生ぜしめている事実を認めうべく、被告本人の尋問の結果中右認定に反する部分は多分に独断的であり、到底措信し難く、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

(営業上の利益が害されるおそれについて)

五 前段認定のように、原告の病院が時に被告の病院と混同誤認されたことのある事実に照らせば、他に特段の事情の認められない本件にあつては、被告の前記の名称の使用により、被告が長年に亘つて築いてきた病院の地位、名声が傷損され、ひいては、原告の病院経営上における利益が害されるおそれがあるものというべく、他にこれを覆すに足る証拠はない。

第二  損害賠償の請求について

(財産的損害の発生について)

原告の病院が被告の病院と混同誤認され、原告がその病院経営上の利益を害されるおそれのあることは、前段説示のとおりであるが、これがため、原告が財産的損害を蒙つた事実については、原告の全立証によるも、これを認めることはできない。したがつて、被告が類似の名称の病院を開設したため、原告が財産上の損害を蒙つたことを前提として、損害金の支払いを求める原告の請求は、進んで被告の故意または過失の点について判断するまでもなく、理由がないものといわなければならない。

(精神的損害の発生について)

原告が東京慈恵会医科大学卒業の医学博士であり、現に日本医師会代議員および中央区医師会理事であることは、当事者間に争いがなく、原告本人尋問の結果に徴すれば、被告がその開設した病院に「京橋中央病院」という名称を使用したため、原告が少なからず不快の念を抱いていることは推認するに難くなく、また、本件訴を提起するについては、原告主張のような費用を要したであろうことも、本件口頭弁論の全趣旨から推認しえないではないが、これがため、原告が金銭をもつて慰藉しなければならない程の堪えがたい精神的苦痛を受けたとは認められないし、他にこのような精神的苦痛を受けたことは認めるに足る証拠はない。

したがつて、原告が精神的損害を受けたとして慰藉料の支払いを求める請求もまた、その余の点について判断するまでもなく、その理由がないものといわなければならない。

(むすび)

以上説示のとおり、被告に対し、その開設にかかる病院につき、前記の使用の差止めを求める原告の請求は、理由があるものということができるから、これを認容すべきも、その余の請求は、理由がないものというほかはないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第九十二条を適用して、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第二十九部

裁判長裁判官 三 宅 正 雄

裁判官 米 原 克 彦

裁判官 白 川 芳 澄

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